「シニアのチカラ」連載第2回目は「函館市地域交流まちづくりセンター」スタッフの遠藤洋一さんからのメッセージです。それではどうぞ!
これまでの経験を次世代のマチのために・・・
サービスの現場が私の居場所、世代を超えた仲間が私の財産
函館市地域交流まちづくりセンター・遠藤洋一 (61歳)
■ サービスの現場、多様な世代の仲間たちと・・・
実は、団塊の世代、シニアなどと言われても、全くピンと来ていません。現役(今も現役ですが)の時の仕事仲間が、私の子供と同じくらいの方ばかりで、一生懸命仕事に遊びにと付き合っていたのです。そうでもしないと遙か歳の離れた自分の考えなど聞き入れてくれなくなるし、何よりも楽しかったので老け込んでる暇などなかったのです。おかげで彼らも私の年齢など気にする事も無くごく普通に接してました。それで気持ちや考え方も、いまだに若いと言うか幼稚なのではと思います。誰かに迷惑をかけてなければ、特に無理をして若作りしている訳ではないので良いかなと思ってます。
以前の職場は裏にある某老舗で、作業服かと思われるタキシード、蝶ネクタイでサービス員を指導する立場で、お客様に楽しんで頂くのを心情に頑張っていました。お客様にも顔を覚えて頂けて、行動したことがすぐに自分に跳ね返って来る楽しくも怖い仕事でした。
時代の流れか、サービスに対する考え方が上層部とはすれ違うようになり骨を埋めるつもりでいた職場でしたが、自分の考えているサービスが出来ないなら身を引くしかないと考える日々が続き、後先考えず飛び出してしまいました。もうサービス業には戻らないつもりでいた数年後、新しくレストランをオープンさせたいので、責任者として手伝って欲しいと誘いがあり一番好きな職種でもありますし、迷いながらも引き受けました。
■ 思いがけない病の後に・・・
運命の日は突然やってきました。スタッフトレーニング開始のまさにその日に、あろう事か心臓発作を虚血性心筋梗塞で緊急搬送、家族が呼ばれ、時間が立ちすぎ無理だろうと宣言され、皆があきらめかけたとき、なにかしら反応したらしくICUへ入り緊急手術。奇跡的に脳や四肢の運動には障害が残らず数ヶ月後退院出来ました。この状態で退院出来るのは2〜3%の確率しかないらしいのです。若干の記憶を失ったのと、退院後様々なことが認識出来なくなる等の症状が出たりしました。
それで、一時期社会との接触が出来なくなり、今で言う引きこもりの状態が約一年続きました。みんなに迷惑をかけないで生きていくことが私の心情だったのですが、この時ばかりは心配や迷惑を沢山かけてしまいました。
リハビリに励み、何とか外へも出歩けるように成ったある日、以前の職場で数度お話したことのある「ひのき屋」と言う太鼓グループのコンサートを見に行く機会があり、太鼓の音が生きている喜びを胸一杯に感じさせてくれ、いつのまにか涙を流し感動していました。第一回はこだて国際民族芸術祭でのボランティア募集を知り、出来る範囲で手伝えたらと出かける事にし、この事が社会に復帰するきっかけに成りました。
まちセンにお世話に成った経緯は、その時に駅前の電停で偶然にも、やはり以前の職場で家族ぐるみでお世話に成っていたまちセンのヨコ爺こと横内氏とはち合わせ、後日お互いの近況報告と「ひのき屋」のボランティアの件を相談にいきました。とりあえず、体と精神的なリハビリのため、まちセン開催のNPOまつりのボランティアを手伝うことになり、時間さえあれば、まちセンに出かけるように成りました。慣れてきた頃、私に声がかかりました。
